先生は神秘的に、高校生には親近感を抱かせる、技巧が光る
『幕が上がる』平田オリザ
木村優里さん(東京学芸大学附属高等学校)

この物語は、高校の弱小演劇部の部長のさおりが、かつて学生演劇の女王といわれた吉岡先生との出会いによって演劇を通して成長していくというもの。私自身が演劇部だから手に取りました。2015年の春に映画化もされ、話題になりました。
この物語の作者の平田オリザさんは、小説家ではなく劇作家、脚本家です。本屋さんのPOPには、「劇作家・平田オリザ、満を持して小説を」というようなことが書いてありましたが、正直言って、脚本も小説も同じ物語なんだから、劇作家が小説を書いたということを売り文句にしなくてもいいだろうと思ったのです。しかし、いざ読んでみると脚本の世界と小説の世界の違いというものを知らされる、そんな文章になっていました。
脚本というのはセリフの集合です。セリフの集合というのは人がしゃべることを想定して書かれていたもの。それに対して小説というのは、例えば文学的な表現の美しさなどにも、こだわりを持って書かれているものだと思っています。
私が感じたのは、この本には、脚本として書かれている部分と、小説として書かれている部分があるということです。さおりをはじめとする高校生たちは、みんな脚本として書かれている。それに対して吉岡先生だけ小説、文学として書かれているということです。
脚本としての文章のいいところというのは、すぐ隣にその登場人物がいるかのように感じること。その人が本当に会話している言葉をそのまま書き起こした感じがします。物語の地の文はさおりの語りなんですが、読んでいるうちにもしかして自分がさおりなんじゃないかって思ってしまうくらいにリアリティーと臨場感があります。
それに対して吉岡先生というのは、この物語の中では異質な存在で、クールで多くを語りません。しかし、内には演劇に対するすごく熱いものを秘めていて、近づきがたいものがある。果たして吉岡先生は本当に人だろうかくらいに、神秘的な存在です。その神秘的な存在であることが際立つように、吉岡先生は文学的な表現によって描かれています。

そして、読者と登場人物の高校生たちの距離の近さ、吉岡先生との距離の遠さが、吉岡先生の美しさのようなものを引き立てています。物語としては青春物語の型にはまっていると思いますが、その型にはまったシンプルさが、表現の新しい感じを際立たせていると思います。何度でも何度でもさおりや吉岡先生に会いに行きたくなる作品です。
ちなみに私が物語の中で一番好きな言葉は、「私たちは舞台の上だったらどこまでも行ける」です。
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<全国高等学校ビブリオバトル2015 関東大会の発表より>