愛しているけど憎んでもいる。イエスを売ったユダの愛の告白
『走れメロス』太宰治
今坂朋彦くん(大阪府立四條畷高等学校)

おそらく多くの人が読んだことがあるであろう太宰治の短編集『走れメロス』。何を今さらとお思いのことでしょう。しかしこの短編集には語り尽くせない魅力があるのです。
私が初めて太宰を知ったのは小学4年生の時。学校で太宰について習うよりもずっと前に、図書館で草野大悟さん朗読の『走れメロス/駆込み訴え』のCDを借りました。その時なぜかB面の『駆込み訴え』に強く心を惹かれました。しかし、今となってはそれも当然のことだと思っています。なぜかと申しますと、この『駆込み訴え』では、太宰節と申しましょうか、太宰特有の表現方法が使われており、そして太宰の愛に対する思いがもっともよく表れているからです。
『駆込み訴え』の主人公は、聖書ではイエス・キリストを売った背信の徒として描かれているイスカリオテのユダ。この物語は、彼がイエスを処刑するように訴える場面を描いています。友を救うために走ったメロスと違い、彼は自分の師を売るために走るのです。
先ほど申しました太宰節について、『駆込み訴え』はユダの独白体という形式をとっています。
この物語の書き出しは、
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
というものです。ユダが駆け込んできた時の臨場感が手に取るようにわかります。そしてこの短編集に入っている『女生徒』という作品も、主人公の独白体です。
『駆込み訴え』のユダは、イエスの意地の悪さやいやらしさについて述べています。しかし彼はイエスを他の誰よりも愛しているとも述べているのです。愛している、いや憎んでいる、彼の感情は二転三転していきます。イエスが若いなら自分だって若い。自分には才能や財産だってある。自分はイエスに尽くしてきた。しかし彼は自分を認めてくれない。ならば自分が銀30で売ってやる。そしてイエスに肩を並べて立ってやるとユダは述べています。
しかしユダは本当にイエスのことを憎んでいたのでしょうか。私はこの物語はユダによるイエスへの愛情表現、愛の告白であると考えました。小学生が好きな女の子にちょっかいを出すように、ユダもまたイエスに恋をしていたのだと思います。そう考えるとこの物語はある種のノロケ話になると言えるのです。そして私はこの作中の「花はしぼまぬうちこそ花である。美しい間に剪らなければならぬ」という一文にユダの愛しているが殺したい、愛しているからこそ殺してしまいたいという感情が如実に表れていると考えました。

太宰はこの短編集を通して、正義などのプラスな感情、殺意などのマイナスな感情、さまざまな感情に姿を変える愛というものを鮮やかに描き出していると思います。そして私は形が決まっているわけではない、しかしそれこそが愛であるということで、この短編集に「愛の肖像」というキャッチコピーをつけました。小学4年生だった私を惹きつけたものは、当時の私には新鮮だったユダの独白体だったかもしれません。しかし今の私にはこの一冊が、愛というものについて考えるきっかけになりました。みなさんもぜひ愛の肖像を読んでみてください。
[出版社のサイトへ]
<全国高等学校ビブリオバトル2015 大阪大会の発表より>
こちらも 今坂くんおすすめ

『檸檬』
梶井基次郎(新潮文庫刊)
肺を患い、心を病んでいた主人公が、ある日京都の町で見つけた檸檬を丸善の棚に置いて立ち去ります。その時の主人公の感情や、なぜ檸檬を置いて立ち去ったのかに注目して読んでほしいです。
[出版社のサイトへ]

『彩雲国物語』
雪乃紗衣(角川ビーンズ文庫)
主人公、紅秀麗の人生は、彩雲国国王紫劉輝との出会いで一変します。努力は必ずしも報われるわけではないかもしれないけれど、努力し続けることは大切であると教えてくれる本でした。
[出版社のサイトへ]

『ハリー・ポッター』
J.K.ローリング、訳:松岡 佑子(静山社)
これぞ王道ファンタジーというような小説です。好き嫌いが分かれるかもしれませんが、僕にとっては人生で初めて夢中になった小説でした。数十回も読み、本がちぎれたのもこれが初めてでした。
[出版社のサイトへ]
今坂くんmini interview
好きなジャンル・作家
好きなジャンルはミステリー、ファンタジー。好きな作家は太宰治、東野圭吾、J.K.ローリング。
小学生の頃
小学校3年生の時の担任が、本の読み聞かせをしてくださり、それまで嫌いだった読書が好きになりました。その先生が始めて読んでくださったのが、『モグラ原っぱのなかまたち』(古田足日作、田畑精一絵)。小学生時代のお気に入りです。
今後読みたいのは
有川浩、東野圭吾の作品や、明治・大正文学を読みたいです。