トビタテ生のヤリタイコト日記
~こんな本が僕たちの背中を押してくれた
下山明彦くん(東京大学文科I類2年)
第16回 セブでの日本語指導ボランティア

トビタテで計画していた活動の一つである、現地の人への日本語指導をした時のことをお話します。場所は、フィリピンのセブ島のUNOTH日本語教室です。
フィリピン人の生徒の皆さんの年齢は14歳から40代までと幅広いですが、日本人の血をひいていたり、日本人と結婚していたりと、みな日本にゆかりのある方ばかりでした。彼らは、日本の企業で働く前に日本語指導をこの教室で受けるのです。
彼らが日本語を学ぶモチベーションは、日本での就労に尽きます。日本とゆかりがあるからこそ、出稼ぎ先として日本が身近であり、仕送りがフィリピンの家族の負担を減らすことが、彼らには肌感覚でわかるのです。
1か月後に卒業を控える彼ら。言葉がままならないまま日本へ渡ってしまって、生活に苦労することを避けなければならない。僕の責任は重大でした。
授業の初日のこと。学校の事務の方から「実は日本人の先生が1人もいないから、明日から1日3時間教えてもらってもいいかな?」といきなり言われてしまいました。日本にいたときも、塾や家庭教師のバイトもしたことのない僕です。しかもここは外国で、相手は外国人。不安だけを抱えて帰宅し、授業の準備を始めました。正直、「大丈夫か、僕?」って思いました。
そこで思い出したのは自分が英語を学んだ時のことでした。大学に入って、いろいろな外国人と接したり英文を読んだりしてきたわけですが、やっぱり一番大事だったのは中高時代の積み重ねでした。単語と文法をきちんと学んで、基本がしっかりしていたからこそ、少しずつ英語が話せるようになったのです。そう思い、その2つを重点的に教えることにしました。
そして臨んだ授業。「『は』と『が』の使い方はどう違うのか?」、「『書く』を否定するときは『書かない』ですよね。なら、なんで『書きて』って(カ行で)言わずに『書いて』ってア行が入るんですか?」。生徒からの矢継ぎ早の質問に、その度に立ち止まり、考えさせられました。それは新鮮な気付きでもありました。
ふだん当たり前に使っている日本語もいざ教えるとなると、本当に難しい。ある程度日本語を話せる生徒だから、と思って少し言葉を崩して返事をすると、きょとんとされることもしばしばでした。これもまた日本語の言語としての表現の豊かさであり、それゆえに「外国語」として学習する人にとっての大きな壁なのかもしれない、と思いました。
今回のおススメ本

『もしも・・・あなたが外国人に「日本語」を教えるとしたら』
荒川洋平(スリーエーネットワーク/クロスカルチャーライブラリー)
もし外国人に「日本語を教えてください!」と言われたらどうしますか。ひらがな、文法、あいさつなど、何から教えればいいか迷ってしまうかもしれません。教え方に絶対の正解があるわけではありませんが、確立された教授法があるのも事実。型を知っておくと、突然の頼みにもうろたえなくて済むかもしれませんよね。この本を読めば、様々なシチュエーションに合わせて日本語を教えるということをわかりやすくイメージできるはずです。
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つづく
<前回の記事を読む>
第15回 スラムの人々に労働や協働の意義を教えて自立を目指すフィリピンのNGO
第14回 「なぜ『こんな人』が国のトップになったのか」と言うのはたやすいけれど~CNNフィリピン支局訪問
~フィリピンも日本もHappyになるビジネスの創業者に聞く
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~都市は発達しても教育には課題も
~共感も違和感も含めて自分を変えてくれる
個人面接グループディスカッション
応募書類をめぐって~留学計画書作成のコツ
いちばん大事なのは募集要項を読むこと
~「ヤリタイコト」をとことん考え、わかってもらうためにすべきこと!
第5回 一過性の「援助」ではなく、自立に結び付くコミュニティづくりを目指してフィリピンで奮闘 ~トビタテ生の挑戦 その2 大野雛子さん(東洋大学文学部3年)
~本気のヤリタイコトを、社会総がかりで応援する「トビタテ留学JAPAN日本代表プログラム」
選挙の日は、黄色い服で出歩くな ~フィリピン大統領選
~高校時代から変わらなかったその姿勢。トビタテ留学JAPANを起業への第一歩に
第1回 「勇ましい、高尚なる生涯こそが後世への最大遺物である」
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