高校ビブリオバトル2016

妻殺しの犯人にされた男。唯一、アリバイを証明できる女は幻だったのか

『幻の女』ウィリアム・アイリッシュ

内山拓未くん(千葉・渋谷教育学園幕張高校2年)

『幻の女』(早川書房)
『幻の女』(早川書房)

「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」

この一文が『幻の女』の冒頭です。

 

本屋さんでみなさんはどのようにして本を選んでいますか。私の場合は、好きなタイトルを見つけたら手に取ってみます。そして最初の一文、それに感じるものがあったら読むことに決めています。

 

この本の冒頭は、なかなか叙情的だと思いませんか。私はこの一文に惹かれて買いました。そして章題を読んで愕然としました。そこには「死刑執行前 百五十日」と書かれていたのです。

 

『幻の女』というタイトルは、なかなかきれいですが、この作品はサスペンスです。この作品の凄いところは、叙情的な雰囲気を保ったままサスペンスの物語が進行していく点です。

 

簡単にあらすじを紹介しましょう。

「夜は若く、彼も若かったが……」の彼というのは、主人公のヘンダースンです。ヘンダースンはなぜ気分が苦かったのでしょうか?それは妻と喧嘩別れをして家を飛び出してきたからです。彼は何の気なしにバーに入り、奇妙な女と出会いました。その女はかぼちゃに似た形をした燃えるオレンジ色の帽子を被っていたのです。きっとすごく目立ちますよね。

 

むしゃくしゃしていた彼は、その女を演劇鑑賞と食事に連れて行きます。その女と別れて家に戻り驚愕しました。なんと、妻が殺されていたのです。しかも警察は様々な状況証拠から彼を逮捕して死刑判決を下してしまいます。彼は犯行時刻に女と一緒にいたとアリバイを主張しますが、タクシーの運転手や劇場スタッフまで調べても、あれほど目立っていたはずの女を見ている人が見つかりません。まさに幻の女です。彼は獄中から友人に幻の女探しを依頼します。ここから物語は二転も三転もしていきます。

 

さて、ここでこの本の魅力を三つ説明します。その後、あなたは必ずこの本を読みたくなっていることでしょう。

 

1つ目は、スピード感あふれる展開です。冒頭の一文に酩酊してから死刑判決を受けるところまで、正に一気呵成です。このスピード感に拍車をかけているのが、さきほど紹介した章題。「死刑執行前〇〇日」で章題が統一され、読み進めていくと「百五十日前」「八十七日前」「十日前」と日数が減っていく。これは本当にハラハラします。気になるとは思いますが、最後の章は「死刑執行後」になるんですね。そこは読んでからのお楽しみです。

 

2つ目は、めまいがするような魅力的な謎です。「目立つ帽子を被っていた女を誰一人として見ていない!」という謎は、やはり強烈で私たちの心を引きつけます。

女を見ていないと証言する従業員に対してヘンダースンは悲痛な叫び声を上げます。
「もしもあなたの言う通り認めた、いや、認めることができたとしたらその後はどうなると思います? だんだん気が狂い出すでしょう。今後の人生というものが一切信用できなくなる。本当だとわかっていること、例えば僕の名前がスコット・ヘンダースンだということすら信じられなくなってくる。」
私たちも彼の苦悩を共有してしまいそうです

 

内山拓未くん
内山拓未くん

3つ目、最大の魅力がどんでん返しです。友人らが「幻の女」を探し始めてからは、あまりの手がかりの無さに絶望的な雰囲気さえ漂っています。新たな手掛かりや新たな事件。プロットが二転三転し、全く予断を許しません。やがて最後の最後に用意されている真相には本当に驚きました。そして、後味の良い叙情的なラスト。暗示的なことを言いますが、この女が最後の最後まで幻だったんですね。

 

あまりに魅力的な一文に惹かれ、驚愕や興奮と共に、一気に読めてしまいます。勿論、サスペンス好きの方には、一級品であることを保証します。

 

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※リンクは新訳版

 

<全国高等学校ビブリオバトル2016 関東甲信越大会の発表より>

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『亜愛一郎の狼狽』

泡坂妻夫(創元推理文庫)

初めて読んだ推理小説で、ここから推理小説が好きになりました。見た目は二枚目俳優のように端正だが、その実態はグズでドジな風景専門のカメラマン亜愛一郎。ひとたび事件に遭遇すると奇妙で鮮やかなロジックを駆使して、関係者が気づかない内に解決してしまう。このコミカルなキャラクターとセンスの良いユーモア。そしてロジックが大きな見所です。例えば、サイコロの目の予想の仕方から、飛行機に爆破予告をした犯人の心理を炙り出し、箱入りの煙草の選び方から、タクシー強盗の犯人を見つけ出します。恐らく日本で最も高品質の短編集です。

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『Xの悲劇』

エラリー・クイーン 鮎川信夫:訳(創元推理文庫)

言わずと知れた歴史的傑作です。満員電車の中で「ニコチン針が多数刺さっている小さなコルク玉」という奇妙な凶器で殺された株式ブローカー。それを発端として連続殺人が起こります。耳の聞こえない元俳優という探偵、圧倒的不利な状況で疑われた男の容疑を晴らす法廷劇など魅力は多数ありますが、最大の見所は、意外な犯人が劇的に指摘された後の50ページ以上にわたる解決です。その論理の緻密さ、特に奇妙な凶器に関する圧巻のロジックには美しささえ感じます。一生に一度は読んでほしいです。

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『神のロジック 人間(ひと)のマジック』

西澤保彦(文春文庫)

この本を読んで衝撃を受けない人はいないでしょう。世界中から6人の子供が集められ、奇妙な授業が行われている「学校」。子供たちはなぜ自分たちが呼ばれたのか、そもそもここはどこなのかを推理するが、全くわからない。そこに一人の新入生が入ってきて、事態は恐ろしい方向へと進んでいく。かなりスピーディーな展開でページをめくる手が止まりませんが、最後に待ち受ける「真相」は静かに、しかし徹底的に「何か」を破壊する凄まじいものです。そして最後の2行で描写される光景がこの上なく素晴らしく、しばらく余韻に耽ったほどです。この衝撃をあなたに。

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内山くんmini interview

一般的に「本格ミステリー」と呼ばれるジャンルが特に好きです。

好きな作家は、泡坂妻夫、エラリー・クイーン、連城三紀彦、ハリイ・ケメルマン、中原中也、フェルディナント・フォン・シーラッハ、深水黎一郎、カーター・ディクスンなど。

 

ミステリーが好きになったきっかけは、はやみねかおる『そして五人がいなくなる』だと思います。はやみねかおるの本から「ミステリーってこんなにも面白いのか!」と気づかされ、ミステリーが好きになりました(8-9歳)。ジュブナイル以外のミステリーでは泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』がきっかけとなる作品で、さらにミステリーが好きになりました(11-12歳)。

 

森鷗外『高瀬舟』…母に勧められて読みましたがひたすら衝撃を受けました。静かな筆致で「安楽死」について深く考えさせられる作品でした。私が純文学にも手を出すようになったきっかけです(9-10歳)。

 

アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』…言わずと知れた歴史的大傑作ですが、恐怖と興奮の渦に巻きこまれ、最後の章を読んだ時驚嘆の声を漏らさずにはいられませんでした。初めての海外ミステリーで、最も興奮した読書体験でした(9-10歳)。

 

竹内薫『99.9%は仮説』…科学は万能ではない(むしろ科学で説明できないことの方が多い)ことを教えてくれ、思いこみに捕われない考え方を教えてくれた本。私の思考に大きな影響を与えてくれました。

小松秀樹『医療の限界』…現代医療制度の問題を炙り出し、そして解決を模索する本。現在あらゆる進路を考えている中で医学の道について、強い衝撃とともに教えてくれました。

外山滋比古『思考の整理学』…最も影響を受けた本。思考を整理するためのhow to本でもあります。この本を読んでから常にメモ帳を持ち歩いています。

 

若竹七海『暗い越流』…「珠玉の」という表現がこの上なく似合う短編集です。特に「狂酔」は、立てこもり犯の一人称の語り口、異様な事件の構図、そして恐るべき最後の一行と、今年一番印象に残った短編です。他の作品もそれぞれ「悪意」で味つけされた驚くべき真相が用意されており、不思議な酩酊感を味わいました。

 

ジェフリー・ディーヴァー『ウォッチメイカー』…タイムリミット・サスペンスの傑作です。各章の冒頭に配された置き時計のイラストの針が刻々と進んでいき、恐ろしいほど緊張させます。捜査陣のチームワークも見事ですが、最大の見所は、これでもかとばかり繰り返すどんでん返し、その筆力と技術には圧倒されました。

 

レイ・ブラッドベリ『火星年代記』、米澤穂信『リカーシブル』、クリスチアナ・ブランド『はなれわざ』、都筑道夫『なめくじに聞いてみろ』、コリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』。

 

ファンタジーをあまり読んだことがないので国内作家の長編ファンタジーを読んでみたいです。太宰治など名立たる文豪の全集を一気読みしたいです。