ふくろう先生の新書探検隊
第1回 貧困・格差を考えよう
『「助けて」と言える国へ 人と社会をつなぐ』
奥田知志、茂木健一郎(集英社新書)
奥田知志:日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会牧師、NPO法人「北九州ホームレス支援機構」(名称変更。現在は、NPO法人「抱樸」)理事長。支援活動を行っています。
茂木健一郎:専門は脳科学・認知科学。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、脳と心の謎に挑む脳科学者で、テレビ出演も多数。
ホームレス支援の活動から「きずな」の大切さを訴える

北九州でホームレスの方々の支援を続けられている牧師の奥田氏との対談です。「自ら傷ついたものこそが叡智を得て、世界を救うことができる」(それがイエス自身でもある)というキリスト教の信仰に裏打ちされた、いろいろな実践活動を行っています。そのような活動を紹介しつつ、どうして貧困や格差の問題が広まってくるようになったのか、人はどうあるべきか、といった疑問について、その活動を通じて得た答えや考えを話し合っています。
ほんの少し前によく言われた“自己責任論”の残酷さを指摘しています。なぜなら、実はそれは、貧しくなったのは自分の責任であり、逆に社会に責任はないという言い方に通じてしまうからです。それは、この社会が無責任社会であることの裏返しであることになるとします。
そして「きずな」の大事さを訴えます。彼は、進化を「弱者の系譜」であると捉えます。現在の環境に適応して幅を利かせるものが現れると、弱いものは追い出されてしまう。しかし、その追い出された弱いものの中から、次の時代の花形が生まれてくる。聖書では、イエスは十字架に架けられた最初の敗者であり、同時に救い主であったとしている。だから、強い人が弱い人を助けるのではなく、弱いもの同士だからきずなが必要であり、お互い助け合ってきたのだとの考えを示します。だから、弱いものがきずなをつくり出し、お互い「助けて」と言えるようになってほしいとの願いを込めて、本のタイトルにしているのだそうです。
[出版社のサイトへ]
高校生からもひとこと

異質な人との交わりがないと自己認識は深まらない
人は、自分と異質な人を拒絶しようとするし、共感できる人がいたら心惹かれたりするが、自己認識は、そういう他者と自己を見比べながら学習するもの。だから、異質な人のいない安心安全な仲間たちだけといると自己認識が深まらない。
「きずな」という言葉には、「きず」が含まれている。傷を共有してこその絆だ。もともとは皆助けたいという思いを持っている。助けてほしいという思いとこんな自分でも何かの役に立ったらという思いをつなぐこと。ただその邪魔をしているのが、自己責任論と安全安心志向。傷つきたくないということ。人と出会うと必ず傷つく。だから、その傷が致命的にならないための仕組みをつくらなければならない。どうしても傷は必然だから。(古川紗綺さん)

苦しみを受けた人こそ見えるものがある
社会福祉学とは、人間が人間らしく生きていくとはどういうことか、そのために必要な環境や制度とはどういうものかを研究する学問。社会福祉学の中でも、社会福祉論について、学びたいと思っている。そして、社会福祉に関する仕事に就きたいと考えた。
この本には、「苦しみを受けた人、捨てられた人には、認識的特権があるように思える。普通の人には見えないものが見えていたり、感じられないことが感じられたり」とあった。普通の生活が送れないからこそ考えられることもあって、考えることが大切だと思った。(安部純礼さん)

誰でも転落する可能性がある
「努力すれば、ちゃんと生きていけば、転落することがないというのが、まず幻想」という一文が、今の日本の社会をよく表していると思った。この本を読んでいて怖くなったのが、誰でもホームレスになる可能性はあるし、ブラック企業で働いてしまう可能性があるということ。そんな社会で必要なのは、人と人とのつながりであるが、それも今、薄らいできている。(小田島舞さん)