ふくろう先生の新書探検隊
第3回 今の世界は資本主義による市場に支えられている?〜経済学に学ぼう
<その1>資本主義を考えてみる〜まずは基礎
『超入門・グローバル経済 「地球経済」解体新書』
浜矩子(NHK出版新書)
同志社大学ビジネス研究科教授で、専門はマクロ経済分析、国際経済です。
鎖国をするのか、単一地球国家をつくるしかないのか

地球経済を理解するための超入門書として位置づけ、「市場」「通貨」「金融」「通商」そして「政策」について書かれています。
市場は交換の場です。その交換を円滑に運ぶために通貨が生まれました。経済活動の体内を、通貨という名の血液が循環する、そのための血脈が金融です。この血流に裏打ちされて、市場が国境を越えて広がると通商が生まれます。国境まで呑み込んでしまった市場には、それに対応した通貨の在り方、金融の在り方があります。そこに制御と調整の機能を発揮するのが政策です。経済活動を人体に例えるなら、政策は救命救急装置のようなものです。このような概略に対し、それぞれを詳しく説明していきます。
1990年代以降、国際市場から継ぎ目が消えて地球全体が単一のグローバル市場になってきました。グローバル市場を後押ししたのは、IT(情報)技術の発達です。金融の世界では新たに擬似資本家(投資ファンド)が登場しました。
本来の為替の概念が国境を越えて外国為替相場になり、現在地球経済にとって重要な要素になっています。通貨が金(きん)と交換できる金本位制から、ヒトの判断で通貨量が決まる「管理通貨制」になりました。ある意味各国はその国の信用を元に、いくらでもお金を作ることができるのです。また為替レートも変動相場制になっています。この地球経済において、一国一通貨なのか、世界全体での単一通貨なのかを考察して、筆者はユーロ危機などを考慮すると、むしろ一国多通貨時代になるのではないかと予想しています。単一通貨であるためには、地域経済格差を解消する必要があるにもかかわらず、それが実現できないからです。
金融とは信用の上に成り立っています。債券は「借りたカネは必ず返す」ことの証でした。しかしリーマン・ショックなどの世界的な不況のために、金融から信用が消えました。それは金融自由化が進展し、かつ先進諸国のカネ余り状況のため、ハイリターンな金融商品が好まれるようになったためで、不況後誰がどれだけの負債を抱えているかさえ把握できない状況になっています。その元凶を、筆者は日本の超低金利政策による日本のカネ余り状況だと断罪しています。
さらに通商においても、「地域限定排他貿易協定」と読み替えてもいいようなTPPに筆者は異議を唱えます。戦前のブロック経済の反省から生まれた、自由・無差別・互恵の原則を受け継ぐ世界貿易機関(WTO)に反すると考えます。新しい成長分野や担い手が出てきにくい時代になり、だからこそ奪い合うよりは、みんなで分かち合う中で次の展開を見いださねばならないはずだと主張しています。
単一なグローバル経済時代になっているにも関わらず、国の数は多く、各国の金融政策は有効に働きません。カネは国境を越えて一番儲かる場所に集中します。日本がゼロ金利にして量的緩和を続けても、それは日本の中のお金の量を増やすのではなく、日本からカネを押し出す効果しかありません。そこで今後は、鎖国をするのか、単一地球国家をつくるしかないのかと、問いかけます。
これまでの議論をまとめます。1)グローバル化した市場には継ぎ目がない。2)今や基軸通貨の時代ではなくなっている。もっと深刻に「一国一通貨体制」は終わりに近づいているのではないか。3)自由化とグローバル化の中で、金融から信用が消えた。4)自由・無差別・互恵の世界から分断と排除の方向に向かいつつある。その上で、今後鎖国でもなく、地球国家でもない、両者の中間点あたりに正解があるのではないかと述べています。
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高校生からもひとこと

金利は「我慢代」
「金融は『信用』のもとで成り立っている。その金利は『我慢代』といえる。我慢が長くなればなるほど、我慢代が高くなる」といったような具体例がわかりやすい説明になっており、大変理解しやすい。
「市場」という言葉は、「しじょう」とも「いちば」とも読めるが、読み方で意味も異なる。「いちば」が大きくなると、つまり取引されるモノの数と種類が増えると「しじょう」になり、さらに大きく世界的になると「マーケット」になる。英語ではまとめて「マーケット」だが、日本では3つを使い分けている点が面白い。(萩原拓海くん)