第6回 生物であるヒトとは<その1>生命誕生と進化
『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』
松井孝典(文春新書)
著者は、千葉工業大学惑星探査研究センター所長で、専門は地球物理学、比較惑星学、アストロバイオロジーです。
宇宙で我々は孤独ではないのだ
生命とは何か、いかに地球に出現し、進化したのか、そして私たちは宇宙で孤独な存在なのか。この三つは生命起源論の根源的な問いです。本書はアストロバイオロジーの成立背景や歴史から説き起こし、宇宙は生命に満ち溢れているのかに関する研究の入門をし、途中では生物学、古生物学(化石など)と進化、分子生物学、分子進化学などの簡単な紹介をし、そして地球上の生命の起源の研究にかかわる極限環境の生物、ウィルス、RNAワールド説を含む化学進化の話題、最後に宇宙における生命探査の紹介をしています。
21世紀になって、隕石の分析や惑星探査が進み、宇宙には生命が満ち溢れていると考えられるようになりました。地球に似た惑星、物質循環をする惑星が多く見つかり、また隕石中にも生命誕生に必須な有機物が見つかってきたからです。そこでアストロバイオロジーという学問分野が生まれてきました。
宇宙論の人間原理にも触れます。宇宙は無限にあり、宇宙定数や物理定数もそれぞれの宇宙により決まっているが、現に私たちが存在していることから、この宇宙は生物や人間を生み出すような宇宙のはずだというものです。それは、この宇宙に生命が満ち溢れているという考えにも通じます。古生物学の章では、地球誕生からの概略として、スノーボールアースや光合成生物の出現と酸素濃度の変遷、カンブリア紀の動物進化の大爆発、顕生代での5回の生物絶滅(ユカタン半島での大隕石衝突による恐竜の大絶滅も含め)など、地球環境の変遷と生物進化の関連を説明しています。
最近の分子生物学の発展で、分子進化学が普及し、地球上の生物の起源は、一つにたどり着くと考えられるようになりました。それをコモノートと呼びますが、その候補として超好熱菌が挙げられます。それは、温度、圧力、大気組成、pH、乾燥度、放射線濃度などが地表と全く異なる極限環境に見つけられました。超好熱菌は、深海の350度にもなる熱水噴出孔にいたのです。そこでは、そのほか、チューブワーム(ハオリムシ)と呼ばれる生物や化学合成細菌も見つかります。そんなところでは、二酸化炭素の有機化など、生命の材料物質の生成も行われています。地球以外の惑星や衛星に地球表層環境と似た環境を持つ天体が少ないことから、そのような天体ではこれら極限環境生物に似た生物が生命の起源として存在するのではないかと期待されています。
コモノートといわれる最初の細胞の誕生に至る過程として、化学進化が提案されています。細胞の構造を担うタンパク質や核酸の出現です。オパーリンのコアセルベート仮説やスタンリー・ミラーの原始地球を模した大気中での放電によるアミノ酸や塩基の生成の研究をまず紹介します。現在、アミノ酸や塩基の生成、細胞膜の形成実験などが精力的に行われています。またRNAが塩基配列情報を持ち、しかも触媒活性もあることから、自己増殖する生命の起源物質として有力候補に挙げられ、生命の誕生の前にはRNAワールドがあったとする仮説が提案されます。
また原始地球環境では、微惑星の超高速衝突による衝突蒸気雲の形成が起こり、それが大気や海や生命の起源に繋がる衝突脱ガスという現象を起こし、揮発性物質が難揮発性物質から分離することで、地表付近に材料物質に必要な元素が供給されたとする過程を説明しています。
最後に現代の宇宙における生命探査研究を紹介しています。太陽系では、火星、木星の衛星エウロパ、土星の衛星タイタンとエンセラダスが有力とされます。さらに現代、太陽系以外の生命存在の可能性についても、系外惑星が多数発見され、スーパーアースやミニネプチューンといった惑星が注目されています。宇宙には生命が満ち溢れている、宇宙で私たちは孤独ではないのだということが明らかになることを祈らずにはいられません。
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高校生からもひとこと

生命が彗星によって運ばれてきたのか
アストロバイオロジーとは、宇宙生物学あるいは宇宙生命科学のこと。NASAの造語で、「宇宙における生命の起源、進化、伝播および未来」を研究する学問だ。大学では農学系で生物を学びたいと考えていて、かつ天文学にも多少興味を持っているため、この本には惹かれた。
2001年夏、インドに赤い雨が降った。分析すると、核やDNAは見つからなかったが細胞状の物質だった。ある論文によると、雨の降る前に彗星が大気中で爆発したと推測され、そのことからその物質は彗星によってもたらされたのではないか、つまりこの論文の著者は、生命が彗星によって運ばれてきたと推論しているのである。実はこの突拍子もないと思われる推論は、以前にも出されたことのある推論だということだ。(北沢葵さん)