第7回 生物であるヒトとは<その2>誕生と本性

『人間とはどういう生物か 心・脳・意識のふしぎを解く』

石川幹人(ちくま新書)

著者は明治大学教授で、専門は認知情報学および科学基礎論です。

私たちはなぜ意味を理解できるのか。なぜ全体をつかむことができるのか

物、生物、人間、さらにはその意識も、すべて内部・外部の環境とも合わさった重ね合わせの状態にあり、その時の環境との相互作用によりある状態が選び取られる(固定化する)量子過程に基づいていると提案しています。

 

筆者は自動翻訳、人工知能やロボット研究の経験から、分析的なデジタルなアプローチ(「詰め込み理論」と呼ぶ)の限界を示し、全体を取り込む考え方(「拡がり理論」と呼ぶ)の方が妥当だと主張しています。実際、人工知能のプロジェクトに携わり、人間が「意味」にかかわる生き物で、その「意味」をイメージとして捉えることを悟り、環境も含めた全体との関係が重要なキーポイントだと理解したのです。

 


例えば、会議で「オナカガスイタ」という発言があったとき、その会議の状況や出席者などによって、「本当にお腹がすいた」という意味なのか、実は「もう会議をやめよう」という提案をしているのか、「意味」が異なります。「意味」を確定するには、その会議の全体を知る必要があります。コンピュータは、有限な場合は得意ですが、無限の場合・可能性が取り上げられると、結局「意味」が確定できずに、お手上げになってしまいます。

 

人間の「意味」作用を隠し絵で説明します。じっと見ているとイメージが浮かび上がりますが、それは全体から地の部分を無意識に消し去り、図を意識できるようになるからです。それが「心」と考えます。この無意識の作用は、ポランニーが“暗黙知”と名付けたのですが、日常重要な働きをします。車の運転でも、ハンドルは手で握りますが、あたかも車が体の一部になったように感じるようになってこそうまく運転できるのです。自転車を乗るのも同じ、スポーツや音楽などいたる所で経験しているでしょう。

 

幽体離脱の実験を紹介しているので、詳しく述べます。天井に部屋を見下ろすカメラを設置し、その映像を、体験者がかける映像表示機能のあるメガネに送り、自分の体を上から見下ろすような角度の映像を見せながら生活させます。すると実際自分が天井に浮き上がって、自分の体を見下ろす感覚が生まれます。私たちは、自分や周囲全体をまとめて、生活に便利な位置に意識を固定する「心」の機能を持っているはずです。ただ、その意識する部分は、環境との相互作用情報全体を取り込む無意識のほんの一部だけを利用しているはずなのに、実はその意識する部分だけを自分であるように思ってしまっているのであろう(「詰め込み理論」)と推測しています。だからその意識部分だけを利用する人工知能などは、有限な情報に対しては成功するものの、ヒトの示す意味作用には到底追いつかないはずなのだと種を明かします。つまり、「意味作用の場としての心は世界に拡がっている」という「拡がり理論」を提唱しています。

 

生物進化についても議論しています。突然変異と自然淘汰だけに依るのでは、実際の進化はあまりにも速すぎるようです。それは、「心の拡がり理論」同様に、進化も歴史という時間に対する拡がり理論で説明できるだろうと述べています。そこで量子過程を利用します。シュレーディンガーの猫における観測問題に関して、観測により状態が確定するのは、一つはマクロな測定器に情報が入ったときか、もう一つは実は猫を見る意識を持ったときかという議論があるのに対して、筆者はその中間の考え方を取ります。タンパク質折れたたみの場合も、進化の場合も、いろいろな折れたたみ構造や突然変異の組み合わせが重ね合わせの状態として存在しており、それがある細胞の中の環境や生態系の外部環境に接するとき、その環境にふさわしい状態なり挙動の観測確率が上昇する量子過程(状態が確定する過程)があると考えると都合がいいと提案するのです。

 

同様に、私たちがなぜ知識の全体を把握できるのか、なぜ不要な部分を事前に無視できるのか、なぜコミュニケーションで適切な意味を生成できるのかなどは、すべてこの量子過程の考え方が役に立つとします。つまり、この量子過程の考え方で、意識や無意識の機能的な位置づけも明確になるだろうと期待しています。「拡がり理論」によると、「心は共鳴しひびきあう」と言えるようです。

 

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