第7回 生物であるヒトとは<その2>誕生と本性

『人類はなぜ短期間に進化できたのか』

杉晴夫(平凡社新書)

著者は、帝京大学名誉教授で、動物生理学を専門としています。

ラマルク説で人類の進化を読み解く。文明社会の進化を天才の活躍から考察

原始人類が家族、社会を形成していった跡をたどり、現代の人類の文明社会の成立までを考察することを目的にしています。特に、筆者の主観を随所に開陳し、特に進化については、ダーウィンの突然変異と自然淘汰の説よりは、ラマルクの説(用不用説)から読み解くことを目指しています。

 

第一部では、人類の進化について、ラマルク説を前面に押し出し、化石からの研究を基にして猿人から原人で直立二足歩行が完成したことを紹介します。さらに火の使用、家族の成立、そして文化の発生に触れ、このことにより人類は大自然の摂理から逃れ、独自の道を歩み出し、生存競争に勝ち抜き、次の目標として真・善・美の追求をスタートさせたと捉えています。

 


まず、ダーウィン進化論の突然変異によるとする考えでは、特にヒトの素早い進化を説明できないとし、生体に内在する力によるとするラマルク説の説明をします。木村資生の中立説や今西錦司の棲み分け理論の説明を加えて、ラマルク説への肩入れをします。恐竜絶滅後の短期間でのほ乳類進化の放散と特殊化をやはりラマルク説有利な証拠として議論します。

 

霊長類進化の中で、直立二足歩行にいたるヒトの進化を詳しく述べ、約440万年前の猿人の化石から、脳の容積増大や歯の退化なども示します。特に直立二足歩行の特徴から、手が空いて道具や火の使用を器用に行える、そのおかげで知能も発達、言語も獲得、家族や社会や文化を形成できたと説明します。ヒト属に進化した猿人と絶滅した猿人、その違いを手を使って道具を作ったかどうか、その結果脳が発達したかどうかによるとします。

 

人類は原人から旧人(ネアンデルタール人など)、新人(現代人)に進化しますが、この進化は文化、社会の変化によるとします。また知能の発達で、目標が真・善・美になってきたのです。ラスコーの洞窟壁画など、美に目覚めた人類の紹介をします。また野生動物の家畜化、人類の移動(出アフリカ後、まずインド、東南アジアからオーストラリアへ、次に中央アジア、シベリア、北南米へ、そしてヨーロッパへ)、そして特にユーラシア大陸の4大文明発祥を説明します。それらは各時代の社会環境への適応者である「平凡人」とは異なる「天才」によると紹介します。

 

第二部では、文明社会の進化を考察します。各地域で独自の文化を築き上げた過程を考え、特にギリシャの天才たちによる学問の創始とルネサンス期の文芸復興を二大奇跡と賞賛します。また宗教改革が文明史の転回点であり、禁欲的労働と資本主義の精神を基盤とした文明社会の発展を優生学と世界大戦との関わりで紹介します。特に筆者は文明社会の成立は、天才たちの活躍によるとして、幾人かの紹介をしています。その天才たちは、物質的な報酬には目もくれず、高貴な精神的な報酬を求めて、真・善・美を探求し、現代文明社会を成立させたとします。

 

筆者は特に天才について詳しく論じます。ケプラー、ガリレオ、ニュートン、ラボアジェ、コッホ、ベルナール、ミケランジェロ、モーツァルト、ベートーベン、トルストイなどを例として紹介し、彼らが真・善・美をきわめることで、文明生活に大きな影響を与えたとします。

 

日本の天才たちにも少し触れています。発明の天才として、日本の江戸時代の表具師、幸吉が空を滑空したことを紹介しながら、ライト兄弟やタイヤ発明のグッドイヤーやコピー機のカールソンを紹介します。後者二人は、その仕事の成果に満足し、金銭や名誉を求めず、貧しい人間として死ぬことを願ったようです。天才とは、安易な世俗的成功に背を向け、自ら難問を見いだしこれを追求する道を選ぶようです。何故か。小林秀雄を引用して、「なぜ天才は好んで難問に挑む道を選ぶのかと問われれば、天才は安易な道を嫌うからだというしかない。言い換えれば、強い精神は安易なことを嫌うのである」と述べています。

 

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